• イッパチ会パラオ研修旅行(三日目)2010/11/26 8:06

     『いざ、ペリリュー島へGo』

     イッパチ会パラオ研修旅行(三日目)を迎えた。「年に1回はどの会でも行かない場所に行こう!」と決めて、この度のイッパチ会オフ会も3回目となった。2007年には、ハワイのホノルルへと旅立ち、ホノルルマラソン(42.195km)を無事に完走した。2008年には、マカオに旅立ち、233mのバンジージャンプを体験することに成功した、2009年には、まだ発見されて間もない古代遺跡アンコールワットのカンボジアへと旅立ち、普通では味わえない経験をさせてもらった。そして今回の2010年は、パラオ研修旅行である。本日も大晴天の空の下、ペリリュー島の摩訶不思議大冒険が始まる・・・。
     コロール島の南、約50kmに位置するペリリュー島。パラオロイヤルリゾートホテルから出発した私たちを乗せた1隻の船は、青い海原を1時間10分の時間を掛け、ペリリュー島の港であるノース・ドックに到着したのであった。
     面積約13k㎡の小さなペリリュー島には、人口約700名が住んでいる自然味あふれる雰囲気のアイランドである。港で船から車に乗り換えた私たちは、近くにある千人洞窟に行くことに・・・。洞窟に入る前に1礼拝礼し、いざ懐中電灯を片手に洞窟内を散策したのである。そこは、戦争の生々しい姿が今でもそのままに残されていた。火炎瓶に使われていた瓶の数々や弾薬箱やボンベ等が洞窟内に散らばっていた・・・。そして、洞窟出口には火炎放射器の火力で黒焦げになった石灰岩がそこに見られた・・・。その後、戦争記念博物館や第2次世界大戦の戦跡が残るペリリュー日本軍司令部に訪れ、建物が破壊された戦争の悲惨さを目の当たりにしたのであった・・・。
     ちょうど昼時となったので、島の南端にある世界平和を祈念して造られた公園のペリリュー平和記念公園に訪れ、太平洋を背にして弁当を食べることにした(昨日の夜に食べた韓国料理「やきにく」の弁当だったのに驚いた)。そして、お腹も一杯になった私たちは、今でもたまに使われているというペリリュー空港ターミナル(滑走路)を拝見し、動かなくなってしまった今もその姿を残している米軍水陸両用戦車や日本軍防空壕・大砲跡をしっかりとその眼に焼き付けた。最後に山道から続く115段の階段を上り、木でできたテラス状の展望台(ブラッディ・ノーズ・リッジ・モニュメント)から、一瞬言葉を失ってしまうほどの景色がパノラマに広がっていたのであった・・・。こうして、ペリリュー島1日観光ツアーは幕を閉じたのである。
     第2次世界大戦において、最も激しい戦闘が繰り広げられたペリリュー島で、改めて世界平和の大切さを学ぶことができました。無念の残る先人たちの心打たれる手紙の数々や今でも残されている戦車・大砲を見たことで、私たちに戦争の悲惨さを色んな角度から訴えかけてきました。この戦争で生涯を閉じた先人たちに、心からのご冥福をお祈り申し上げます。明日は無限の青が存在するといわれる、ミルキーウェイに赴く予定であります。明日の大冒険を夢見て、大きな期待を膨らます私たちなのであった・・・。明日へとつづく・・・。
     PS:本日、不可解な現象が起きてしまった。千人洞窟潜入したまではマイカメラが機能していたのが、洞窟を抜け出た後にシャッターを切ると全く写らなくなってしまいました・・・。何かあるのか・・・?

     『千人洞窟へ潜入』

     港で船から車に乗り換えた私たちは、近くにある千人洞窟に行くことに・・・。洞窟に入る前に1礼拝礼し、いざ懐中電灯を片手に洞窟内を散策したのである。

     『洞窟内に散らばる瓶の数々・・・』

     戦争の生々しい姿が今でもそのままに残されていた。火炎瓶に使われていた瓶の数々や弾薬箱やボンベ等が洞窟内に散らばっていた・・・。

     『さらに洞窟の奥へと突き進む・・・』

     ガイドさんに説明を受けながら、さらに洞窟の奥へと突き進む私たち・・・。すると、洞窟の天井を見ていた日野さんが「なんかおるで!」と言ったのである。その声に反応した私は、懐中電灯を上に照らしてみた・・・↓ ↓ ↓

     『見たこともない巨大な蜘蛛』

     日本では見たこともない巨大な蜘蛛がこっちを見ていた。これを発見してしまってからは、ガイドさんの説明がまったく頭に入らなかった・・・。

     『戦没者慰霊碑(みたま)に礼拝』

     戦没者慰霊碑に線香を備え、イッパチ会一同礼拝して心からのご冥福をお祈り申し上げました。

     『戦争記念博物館』

     戦争記念博物館に訪れ、建物が破壊された戦争の悲惨さを目の当たりにしたのであった・・・。

     『ペリリュー日本軍司令部跡』

     ペリリュー日本軍司令部跡に訪れ、建物を拝見させてもらいました。建物中心には1トンもの爆撃が落ちた跡があり、壁には銃痕が残るなど、攻撃の凄まじさを目の当たりにしました。建物は強固なRC造だった・・・。

     『ペリリュー空港ターミナル』

     昼食を食べ、お腹も一杯になった私たちは、今でもたまに使われているというペリリュー空港ターミナル(滑走路)を拝見しました。

     『動かなくなってしまった戦車と共に・・・』

     動かなくなってしまった今もその姿を残している戦車と共に記念写真を撮りました。

     『日本軍防空壕・大砲跡』

     この巨大な大砲で、東から攻めてくる米軍戦艦に対し発砲したそうであります。大砲の上には不発弾が残っていました・・・。

     『ブラッディ・ノーズ・リッジ・モニュメント』

     最後に山道から続く115段の階段を上り、木でできたテラス状の展望台(ブラッディ・ノーズ・リッジ・モニュメント)から、一瞬言葉を失ってしまうほどの景色がパノラマに広がっていたのであった・・・。こうして、ペリリュー島1日観光ツアーは幕を閉じたのである。

     『パラオ名物のコウモリスープ』

     本日の締め夕食は、パラオロイヤルリゾートホテルの近くにあるパラオ料理店に訪れました。メニューを見ると、パラオ名物のコウモリスープがあったので、注文してみることにしました。すると、ご丁寧に首にリボンが結ばれたコウモリくんが食卓の前に現れたのであります。コウモリくんは可愛らしい顔をしていました。スープの味は癖のある濃厚なものでありました。美味しかったですよ。

  • イッパチ会パラオ研修旅行(二日目)2010/11/25 7:55

     『朝一のホテルからの眺め』 

     イッパチ会パラオ研修旅行(二日目)を迎えた。ホテルの各部屋には、インターネットが完備されてなかったので、早朝よりホテル1階にあるインターネットルームにて、持参していたパソコンにランケーブルを接続してみることにした(1ドル/15分)。しかし、インターネットに接続することができず、悪戦苦闘の1時間が強いられることに・・・。ここで、PC先生の助け舟が必要と、日野先生に手伝ってもらった。そしてまもなく、私のパソコンはインターネットに接続されたのだった・・・。
     午前中はバタバタとする何とも落ち着きのない朝を迎えた私だが、午後からはどこまでも続く青い空と青い海を体感する半日シュノーケリングツアーへと出発することにした私たち・・・。ロックアイランドの島々をボートでクルージングし、シュノーケリングで珊瑚と熱帯魚たちと戯れたのであった・・・。
     シュノーケリング初心者だった私は、足ヒレとシュノーケル付きの水中メガネに戸惑いを感じた。そして、慣れない海での立ち泳ぎでかなりの体力が奪われてしまうことに・・・。しかし、体力消耗の代償以上の感動が、このパラオの海には詰まっていたのである。また、海を感じるべく、「シュコー、シュコー」とシュノーケルから吐き出される息を止め、1分間の間、無になり海と一つになることに徹してみた・・・。すると、「パチッパチッパチッ」と、何かが弾ける音が私の脳に響いてくるのである。この間、私は完全にパラオの海と一つになっていた・・・。こうして、ベテランツアーガイドさんからご指導賜りながらの半日シュノーケリングツアーは、幕を閉じたのであった・・・。 
     
    本日は人生で初のシュノーケリングに挑戦しました。日本での急速な体内時計を一旦停止し、大自然に囲まれたパラオの海を感じるという大変貴重な経験をさせていただきました。今日一日の体験と経験に心から感謝しております。イッパチ会の仲間たちと過ごすパラオ研修旅行(三日目)は、第2次世界大戦の激戦地として知られるペリリュー島の散策を予定しています。流血の記憶を現在に伝える戦跡の数々と、美しいビーチを夢見て、明日のパラオライフに備え就寝したのであった・・・。明日へと続く・・・。

     『半日シュノーケリングツアー』

     午前中はバタバタとする何とも落ち着きのない朝を迎えた私だが、午後からはどこまでも続く青い空と青い海を体感する半日シュノーケリングツアーへと出発することにした私たち・・・。ロックアイランドの島々をボートでクルージングし、シュノーケリングで珊瑚と熱帯魚たちと戯れたのであった・・・。

     『ツアーガイドさんからのご指導』

     シュノーケリング初心者だった私は、足ヒレとシュノーケル付きの水中メガネに戸惑いを感じた。しかし、ベテランツアーガイドさんから丁寧にご指導賜った私たちは、難なく美しい海へ飛び込むことに成功したのであった・・・。

     『珊瑚と熱帯魚たちのワルツ』

     海を感じるべく、「シュコー、シュコー」とシュノーケルから吐き出される息を止め、1分間の間、無になり海と一つになることに徹してみた・・・。すると、「パチッパチッパチッ」と、何かが弾ける音が私の脳に響いてくるのである。この間、私は完全にパラオの海と一つになっていた・・・。

     『イッパチ会パラオの海を制覇』

     最後に、ベテランツアーガイドさんに海の中での写真撮影をしてもらいました。最高の記念になりました。

     『韓国料理「やきにく」』

     半日シュノーケリングツアーで疲れ果てた私たちは、パラオの街ダウンタウンにある韓国料理「やきにく」に訪れたのであった・・・。焼肉奉行である日野さんの手によって、骨付きカルビと骨なしカルビが捌かれていった・・・。今日一日に感謝します。明日へとつづく・・・。

  • イッパチ会パラオ研修旅行(一日目)2010/11/24 9:50

     『松山空港から伊丹空港へ・・・』

     11月23日(火)、イッパチ会パラオ研修旅行(一日目)に旅立つべく、松山空港から伊丹空港へ飛んだ6名のイッパチ会有志一同・・・。日本から南へ約3,000km離れた、太平洋に浮かぶ自然の宝庫であるパラオ。パラオ研修旅行5日間の旅が今始まった・・・。
     伊丹空港に到着し、リムジンバスにて関西国際空港を目指す私たち・・・。頭の中は青い海のイメージが湧いてくる。未だ行ったことのない国を想像しているうちに、あっという間に関西国際空港に到着したのであった。
     関西国際空港に到着してから、出国手続きや日本円をドルに換金する等、旅立ちに備えた私たち・・・。空港内を移動中「ズキッズキッ」と、早朝、坊っちゃんマラソンで10km走った足が、次第に悲鳴を挙げだしてきた。飛行機に乗り込むまでの辛抱と、重くなってきた足を気合で一歩一歩前進させた。こうして、コロール国際空港に向けて飛行機は、日本を飛びたったのであった・・・。
     フライト時間の間、映画を観る元気もなく、殆どの時間を睡眠して過ごし、マラソンで削られた体力の回復に備えたのであった。約4時間のフライトの末、コロール国際空港に到着した。時計の針は22時30分を示していた・・・。
     バスに乗り、本日より4日間お世話になるパラオロイヤルリゾートに向かう私たち・・・。そして、難なくチェックインを果たした私たちは、明日からの摩訶不思議パラオライフに備え就寝したのであった・・・。明日へと続く・・・。
     PS:パラオ共和国は1981年に自治政府として発足した国である。人口はおよそ2万人で、全体の7割がパラオ人で残りの大半はフィリピン人で占められている。日本との時差はなく、海洋性熱帯気候の高温多湿で、気温は年間を通してほぼ一定している。通貨は主にアメリカドルが使用されている。パラオの国旗は、サンゴ礁の海を表す青地に満月という簡素なデザインは、平和と静寂、そして海の豊かさを表している。日本の日の丸とは対照的に、満月をイメージしたものであった。

     『日本円をドルに換金』

     関西国際空港にて、日本円をドルに換金した私たち・・・。換金レートは、1ドル86円だった。

     『コロナビールで乾杯』

     自宅から11時間の移動時間を経て、宿泊先であるパラオロイヤルリゾートに到着した私たち・・・。チェックイン後、ホテルのカフェで旅の無事を祝して乾杯しました。明日へとつづく・・・。 

  • 第10回坊っちゃん一緒にらんランRUN大会2010/11/24 7:35

     『坊っちゃんマラソン10kmの部、まもなくスタート』

     11月23日(火)勤労感謝の日、第10回坊っちゃん一緒にらんランRUN大会が、松山中央公園で開催された。昨日の冷えた雨とは打って変わり、本日は晴天で今大会を迎えることができた。妻と奏来が見守る中、まもなくスタートのピストルの合図が鳴らされた。
     ハーフマラソン(21.0975km)、10kmマラソン、イチワリマラソン(4.2195km)の3つの種目の中で、私は10kmマラソンを走った。イッパチ会のメンバーたちも、各々ハーフマラソンや10kmマラソンに挑戦し、一緒にらんランRUNしたのであった。昨年の第9回坊っちゃん一緒にらんランRUN大会で私は、1時間5秒というタイムで惜しくも1時間超えという結果に終わってしまった・・・。さて、今回節目である第10回のらんランRUN大会は、どんな結果が待っているのか・・・。
     スタートの合図と同時に、和太鼓でランナーたちの体を一気に覚醒させる。軽快にスタートを切ったランナーたちは、運動場から外へと走り出していった。私の場合は、この運動場のたった1周だけで息切れを起こしてしまう・・・。さすがに、昨日の2時30分帰宅が堪えたのか・・・。3時間しか寝れなかった体は、相当堪えているようだ・・・。そんな顔を曇らせた表情を妻は見逃さなかった・・・。しばらく自分との闘いが始まった。「スッスッハッハッ、スッスッハッハッ」・・・。息使いが次第に良くなってきた。5km地点の折り返しに到達した時には、一時ランナーズハイになり、少々ピッチが上がっていく。いい感じだ・・・。
     しかし、突然苦しさが私を襲ってくる。10kmマラソンでよくある、魔の7kmである。ここが一番の正念場。足の痛みと苦しさに耐え、何とか足を止めずに必死にゴールを目指していく・・・。
     やっとゴールが見えてきた。もう少しだ・・・。最後のラストスパートをかけていく。50m、40m、30m・・・、だんだん近づいてくるゴールの横に妻と奏来の顔が見えた・・・。家族が待っているという、いつもとは一味違う10kmマラソンを完走することが出来ました。記録は、前回から1分以上も上乗せされた1時間1分16秒であった。第49回愛媛マラソンまでの道程は、非常に厳しいものとなった・・・。
     節目の第10回坊っちゃん一緒にらんランRUN大会を、全国のランナーたちと共に楽しく走ることができました。また今後は、マラソンを通じて、愛媛・松山の活性化、そして仲間との絆、更にはいつ何時も挑戦する気持ちを持ち続けることを念頭に入れて、走り続けていきたいと思います。坊っちゃんマラソン実行委員会の皆様、そしてイッパチ会のメンバーの皆様、楽しく走らさせていただきましたことに心から感謝を申し上げます。本日は誠にありがとうございました。坊っちゃんマラソン終了後、イッパチ会パラオ研修旅行へと旅立つべく、松山空港に向かった・・・。
     PS:14時キックオフされた第90回全国高校ラグビー大会県決勝戦、両チームのラグビー魂を見せていただきました。北条高校さん、花園でも愛媛代表としてご活躍されますことを心からお祈りしております。準優勝の三島高校さん、ナイスファイトでした。

     『10kmの部、見事ゴール』

     イッパチ会のメンバーと共に、10kmの部を見事ゴールすることができました。この瞬間がランナーにとって一番の至福の時であります。本日は誠にありがとうございました。

  • 創業20周年を祝う会(陸・空・海を極めた者・・・)2010/11/02 10:24

     『発起人代表(小泉 啓典氏)ご挨拶』

     11月1日(月)、道後山の手ホテルにて、株式会社オートプロジェクト創業20周年を祝う会が盛大に開催された。創業されてから20年間、オートプロジェクトは地に足をつけ、一歩一歩着実に前進されたのである。その背景には、家族と社員たち、何よりもかけがえのない友人たちの支えがあったからこそ・・・。そんな絆とご縁の仲間たちが集う中、陸・空・海を極めた日野社長のご挨拶が執り行われた・・・。
     今日までの20年間、自動車の販売会社として歩み続けたオートプロジェクト。景気に揺さぶられ、かけがえのない仲間との出逢い、辛い思い出や悩み、そして数多くの喜び・・・。日野社長は、20年間の道標を赤裸々に私たちに伝えたのである。20年間という経験の中で一番身になった事、それは判断力・・・。より素早く判断し、オートプロジェクトの舵をとる。そして社員たちは社長の想いにベクトルを合わす・・・。現状維持は後退の始まり、常に前に向いて進み続けていくことを、会場の皆様に誓い申し上げた。『常に相手の立場に立って考る』ことを念頭に置いて・・・。
     心温かな来賓祝辞を、株式会社OK自動車代表取締役(東山 雅彦氏)より賜り、会場は一気にテンションが上がる・・・。そして、株式会社オートプロジェクト創業20周年を記念し、会場内全員の「ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ~」の掛け声の下、鏡割りは盛大に執り行われた。そして、MA日本キックボクシング連盟武勇会代表(藤岡 勇人氏)の乾杯のご発声の下、祝宴はその幕を開けたのであった・・・。
     祝宴では、絆とご縁で繋がった者たちとお酒を酌み交わした。次第に笑顔と笑いが会場内に広がっていく・・・。20年間の絆で培った信頼という波紋の輪が広がっていく・・・。余興では、タオルが天高く舞い上がり、グルグル回り、会場内のテンションは最高潮となった。豪華賞品の抽選会も執り行われ、さらに会場内は一体感に包まれた・・・。そして宴もたけなわとなり、僭越ながら発起人である私が中締めを執らさせていただいた。本日ご来場のすべての皆様方が成長し進化し続けることを祈念して、進化型の5本締めで締めさせていただいた。こうして、株式会社オートプロジェクト創業20周年を祝う会は閉会を迎えた・・・。
     本日は株式会社オートプロジェクト創業20周年、誠におめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。そして、大変お忙しい中、多くの皆様にご来場賜りましたこと、発起人として心からの感謝と御礼を申し上げます。アナログ人間だった私を、パソコンを通じてグローバルな世界へと導いていただいた日野社長。イッパチ会の絆の下、マラソンを通じて何事に対しても挑戦する気持ちを教えていただいた日野社長。サービス業という、自分のことより相手のことを・・・の精神を教えていただいた日野社長。株式会社オートプロジェクト様より私は、数々の成長の機会をいただくことができました。株式会社オートプロジェクト様の今後益々のご活躍とご発展と、絆とご縁で集ったすべての皆様のご健勝・ご多幸を切に願っております。本日は誠におめでとうございました。

     『代表(日野 健治氏)ご挨拶』

     今日までの20年間、自動車の販売会社として歩み続けたオートプロジェクト。景気に揺さぶられ、かけがえのない仲間との出逢い、辛い思い出や悩み、そして数多くの喜び・・・。日野社長は、20年間の道標を赤裸々に私たちに伝えたのである。20年間という経験の中で一番身になった事、それは判断力・・・。より素早く判断し、オートプロジェクトの舵をとる。そして社員たちは社長の想いにベクトルを合わす・・・。現状維持は後退の始まり、常に前に向いて進み続けていくことを、会場の皆様に誓い申し上げた。『常に相手の立場に立って考る』ことを念頭に置いて・・・。

     『来賓(東山 雅彦氏)祝辞』

     心温かな来賓祝辞を、株式会社OK自動車代表取締役(東山 雅彦氏)より賜り、会場は一気にテンションが上がる・・・。次の10年、20年・・・・・・100年、絶対にオートプロジェクトは歩み続けます。

     『鏡割り』

     株式会社オートプロジェクト創業20周年を記念し、会場内全員の「ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ~」の掛け声の下、鏡割りは盛大に執り行われた。そして、MA日本キックボクシング連盟武勇会代表(藤岡 勇人氏)の乾杯のご発声の下、祝宴はその幕を開けたのであった・・・。

     『イッパチ会の仲間たち』

     イッパチ会の絆は永遠です・・・。IRCニューリーダーセミナー18期生として出逢った仲間たちは、今もこうして直ぐに集うのであります。日野社長、本日は誠におめでとうございます。

     『中締めの音頭』

     宴もたけなわとなり、僭越ながら発起人である私が中締めを執らさせていただいた。本日ご来場のすべての皆様方が成長し進化し続けることを祈念して、進化型の5本締めで締めさせていただいた。こうして、株式会社オートプロジェクト創業20周年を祝う会は閉会を迎えた・・・。すべての企業が成長し進化し続けることをお祈り致します・・・。本日は誠におめでとうございます。