イッパチ会 カンボジア研修旅行(四日目)2023/05/26 6:25


『タサエン宿舎の朝礼』

5月25日(木)、イッパチ会 カンボジア研修旅行(四日目)を迎えた。昨夜にヒノケン誕生祭となる焼肉まつりから数時間後、快適な朝を迎えた。3日目ともなると、もう体も慣れてきて、暑かろうが、蚊に刺されようが、猫が横切ろうが、犬が寄ってきて舐めようが気にならなくなってきた。いいな、いいな、にんげんっていいなである。そんな快適タサエン宿舎の目覚めの時、朝礼と朝食を食べた後、カンボジア最終ミッションとなる昨日スコールで封印した地雷爆発体験をしに、近くの山広場まで行った。

早速、地雷爆発体験する山広場に到着し、タサエン宿舎から持ってきていた3つの地雷がセットされていた。一つ目は対戦車地雷、二つ目は放射弾の不発弾、三つめは対人用地雷である。一通り、3つの地雷の説明を受けた後、徒歩3分ほど離れたところに待機した私たち・・・。トランシーバーでやり取りの後、およそ3分後に「どかーん!」「どどかーん!」と大きな衝撃波と共に爆音が鳴った。「あれ、3発目は?」と思ったが、もう一度地雷現場に来てみると、1発目の対人用地雷がもう既に鳴っていたとのこと。一番衝撃があったのは、予想通りの最後の3発目となる対戦車地雷だった。こうして、日本では決して味わえない地雷の威力と驚異と衝撃を体感した後、3日間超お世話になったカンボジアのスーパースター高山さんとタサエン宿舎に別れを告げて、タクシーで4時間かけてシェムリアップ空港を目指し、トランジット先のベトナムホーチミン→羽田空港の経由で帰国の旅がはじまった。明日の松山帰省編(最終章)へと続く・・・。

 


『タサエン宿舎最後の朝食』

3日間、ジャスミン米を中心に最高のカンボジア食を提供していただいた。結びの朝食もジャスミン米と相性の良い卵とインゲンのコラボだぜ。いえーい。


『地雷爆発体験ゾーンへと向かう』

タサエン宿舎から車で約10分ほどのところにある地雷爆発体験ゾーンに向かった。


『地雷設置場所へゴー』

車を停めて、いつもの防護服を着用して、いざ地雷設置場所へと向かった。


『3つの地雷説明』

一つ目は対戦車地雷。こいつを踏むと戦車は真っ二つになるとのこと。二つ目は放射弾の不発弾。ザ・爆弾の格好をしているやる。発射されてから放物線を描き、敵地を爆発させるもの。今日のは不発弾ということだった。三つめは対人用地雷で人を殺めるために作られた極悪非道のやーつ。爆発後は鉄破片も飛び散り、間違いなく人を殺めてしまうとのこと。恐ろしい。


『爆発するまで一時避難』

地雷爆発を間近で見ることは流石にできず、車を停めたところまで非難することとなった私たち・・・。合図があってから3分後に爆発が起こった。特に対戦車地雷の威力は凄まじかった。


『地雷爆発後の説明』

地雷爆発後の現場を視察した一行・・・。地形が変わり、緑色した草がすべて無くなっていた。ここは地盤が石なので穴が掘られないが、土の場合はかなりえぐれるらしい。


『ミッション完了』

地雷の恐ろしさを体験した後、記念写真を一枚。皆の顔がつかれてまーす。


『地雷爆発体験後の慰霊塔参拝』

地雷爆発体験場所のすぐ近くに存在する慰霊塔へ参拝した私たち・・・。2007年1月19日、地雷処理中に7名のデマイナーが対戦車地雷の爆発で殉職した。7名を慰霊するために、向かって左側の慰霊塔を2008年に建立しましたが、古くなったためにこれを修理し、村人の合同慰霊塔にし、向かって右側に新しく7名の慰霊塔を建立しました。そして、中央のお堂は、殉職した7名のデマイナーを慰霊するとともに、タサエンの皆様の幸せをお祈りするため、日本の横浜の母念の会様からお地蔵様がご寄付されものです。お地蔵さまには、「念ずれば 花ひらく」と書かれていた。心からご冥福をお祈り申し上げます。


『別れのとき』

3日間超お世話になったカンボジアのスーパースター高山さんとタサエン宿舎に別れを告げて、タクシーで4時間かけてシェムリアップ空港を目指し、トランジット先のベトナムホーチミン→羽田空港の経由で帰国の旅がはじまった。


『シェムリアップ空港に到着』

4時間かけて、タクシーで無事にシェムリアップ空港に到着した。昼食タイムを大幅過ぎてしまったが、空港内に1店舗しかない飯屋で注文することに。私だけライス&チキンで四人はラーメンを注文した。これにて、シェムリアップ空港→ホーチミン空港→羽田空港を目指します。明日の松山帰省編(最終章)へと続く・・・。