卒業アルバムの呪縛(高校編)2021/05/17 6:23


『懐かしの建築科A組』

先日に発信した卒業アルバムの呪縛(小学校編)卒業アルバムの呪縛(中学校編)を経て、高校の卒業アルバムも引っ張り出して高校生だったあの頃を振り返ってみた。ゲーセン(←バーチャファイターばかりしていた)に良く行っていたな、実は建築に興味がなかったな、1年生初期は柔道部だったな、一瞬パース部(←建築の背景の絵を描く)に入ったな、運動会の棒倒しでの活躍でラグビー部に入部したな、パチンコ行ったのが先生に見つかってすこぶる怒られたな、3年生の頃ラグビーで広島国体に出れたのが嬉しかったな、・・・など、様々な思いが込み上げてくる。いつなんどき卒業アルバムを見返しても思い出の青春は熱く胸をときめかせてくれるのだ。

話は変わり、高校生だった頃も多くのトラウマが存在する私・・・。おじいちゃんである2代目(門屋 知照)の母校、家業が建設業を営んでいることもあり、姉も進学したこともあり、愛媛県立松山工業高等学校の建築科の道を選んだ。が、しかし、親の擦り込みなのか洗脳なのかわからないが、まったく建築に興味が無かったのだ。高校生活で課題を与えられた設計(製図)にチャレンジするのだが、3年生最後に行われる卒業設計では、テーマを決めることが出来ずにサザエさんの家を真似して図面を描いたが仲間たちには笑われ、先生からはこっぴどく叱られたのがトラウマとして残っている。卒業アルバムの呪縛を払拭するべく、今こそ伝えようと思う。失敗の連続と経験はいつか人生のエネルギー源となる!!!

 


『大人への階段を上りつつある顔』

中学生の頃のカツオ君から打って変わって少し大人びた顔つきとなった私・・・。ラグビーをした後もスポーツジムに通って筋トレに励んでいたことを思い返した。


『平板測量の実技』

作業服を着てやっているふりはしていたが、基本建築が嫌いだったのでまったく頭に入っていない・・・。やらされているうちは無意味な時間なんだと今なら非常によくわかる。まだ、建築に対してまったく気合が入ってません。


『ラグビー部で流した汗(卒業生のみ)』

今の松工カラーと変わってしまったが、この頃はオレンジ色にマスコットであるペンギンがラグビーボールを持っているワッペンが胸についていた。この頃、私はマスコットのペンギンがラグビーボールを持っているようには見えず、腹に手術したペンギンにしか見えなかった。今は無き城山公園-堀之内-のラグビー練習場。松商ラグビー部と松工ラグビー部で北側と南側の練習コートの取り合いが今となっては懐かしい。先に来て、ラグビーボールをけり込んだ方が手前の南側コートをゲットできる仕組み。また、ここの土は雑菌が多くて一度怪我をしてしまうと体中に伝染性膿痂疹(とびひ)となって熱が出る。寝ている布団が膿だらけになっていたのも懐かしい。ラグビーと出会って本当に良かったと心から思っている。運動会の棒倒しでオファーしてくれた小山田先生、その節はありがとうございました。