(一社)愛媛県建設業協会 松山支部青年部会研修旅行(二日目)2013/08/04 0:33

 『朝一のホテルからの眺め』

8月3日(土)、一般社団法人愛媛県建設業協会 松山支部青年部会研修旅行(二日目)を迎えた・・・。前日に摂取し過ぎた紹興酒が体中を駆け巡る中、朝から何とも言えない脱力感があった・・・。しかしながら、前日の紹興酒祭りと長崎JCとの友好は、一生の思い出に残る最高のものとなったのである。そんな中、9時40分にホテルのロビーに集合した私たちは、一日お世話になった長崎にっしょうかんに別れを告げ、軍艦島への出航先である長崎港に向かったのであった・・・。

約20分のバス移動で長崎港に到着した私たち・・・。そして、長崎半島から西に約4.5㎞、三菱石炭鉱業株式会社の主力炭鉱があった高島から南西に約2.5㎞、長崎港から南西に約19㎞の沖合いに位置する端島(はしま)行きへの切符を片手に、マーキュリー号に乗り込んだ一行・・・。端島の歴史と現場を肌で感じるべく、南西約19㎞を目指して海原へ出航したのであった・・・。

端島は、南北に約480m、東西に約160m、周囲約1200m、面積約63000㎡という小さな海底炭鉱の島で、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになった。軍艦島では、1810年頃に石炭が発見され、佐賀藩が小規模な採炭を行っていたが、1890年三菱合資会社の経営となり、本格的海底炭鉱として操業が開始された。出炭量が増加するにつれ人口も増加し、狭い島で多くの人が生活するため1916年には日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、最盛期には約5300人もの人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度にまで達した。エネルギー革命により、エネルギーの需要が石炭から石油に移ったことで、出炭量も人口も徐々に減少し、1974年1月に閉山した後は、同年4月に無人島となった・・・。こうした背景をガイドさんより伝えられた私たちは、長崎港から出航してから約50分後、軍艦島に上陸したのであった・・・。

軍艦島に上陸し、第1見学広場でガイドさんより説明を受ける・・・。そこから見える眺めは、何十年経った今でもその当時の情景が想像できるくらい建物が残っていた・・・。端島神社、第二杭口桟橋跡、端島小学校等・・・。続く第2見学広場からは総合事務所が姿を現し、当時は共同浴場で真っ黒になった炭鉱マンの疲れを流してくれる癒しの場所であったとか・・・。さらに続く第3見学広場では、プールや日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパート跡地が姿を現し、当時の様子が甦ってくるような気持ちとなった・・・。こうして、第1見学広場~第3見学広場にて現場説明を受けた私たちは、次代へ語り継いでいかなければならない気持ちとなって、再びマーキュリー号に乗り込み、軍艦島を後にしたのであった・・・。

軍艦島ツアー終了後、長崎港付近にある海鮮丼店に訪れ、海の幸を堪能した私たち・・・。その後、長崎原爆資料館及び平和公園に訪れ、長崎の歴史を学んだ・・・。こうして、長崎の地に別れを告げ、本日の宿泊先である福岡へと移動し、長崎・福岡の旅最後の締めくくりとして博多名代水たき「長野」の集いを行った・・・。二日間の長崎・福岡の旅を振り返った・・・。

今日一日、多くの体験・経験をさせていただきましたことに、心から感謝しております。明日はホテルチェックイン後、博多ラーメンスタジアムを散策した後、我がまちまつやまへと帰省予定であります。本日もしっかりと休養をとり、明日に臨みたいと思います。明日へと続く・・・。

 
 『マーキュリー号に乗り込んで・・・』

長崎港から南西に約19㎞の沖合いに位置する端島(はしま)行きへの切符を片手に、マーキュリー号に乗り込んだ一行・・・。

 『軍艦島の歴史をレクチャー』

軍艦島のこれまでの歴史を映像と共にレクチャーいただいた・・・。

 『見えてきた軍艦島』

長崎港を出航してから約50分後、軍艦島が姿を現したのであった・・・。

 『第1見学広場にて』

軍艦島に上陸し、第1見学広場でガイドさんより説明を受ける・・・。そこから見える眺めは、何十年経った今でもその当時の情景が想像できるくらい建物が残っていた・・・。端島神社、第二杭口桟橋跡、端島小学校等・・・。気温は32℃との事だが、熱中症対策が余儀なくされた一行・・・。熱すぎるぜ!!

 『第2見学広場にて』

続く第2見学広場からは総合事務所が姿を現し、当時は共同浴場で真っ黒になった炭鉱マンの疲れを流してくれる癒しの場所であったとか・・・。因みに、写真正面の赤レンガの建物が総合事務所である。

 『第3見学広場にて』

さらに続く第3見学広場では、プールや日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパート跡地が姿を現し、当時の様子が甦ってくるような気持ちとなった・・・。こうして、第1見学広場~第3見学広場にて現場説明を受けた私たちは、次代へ語り継いでいかなければならない気持ちとなって、再びマーキュリー号に乗り込み、軍艦島を後にしたのであった・・・。

 『昼食に海鮮丼を堪能』

軍艦島ツアー終了後、長崎港付近にある海鮮丼店に訪れ、海の幸を堪能した私たち・・・。

 『平和公園にて』

海鮮丼を堪能後、長崎原爆資料館及び平和公園に訪れ、長崎の歴史を学んだ・・・。

 『水たき「長野」の集い』

長崎の地に別れを告げ、本日の宿泊先である福岡へと移動し、長崎・福岡の旅最後の締めくくりとして博多名代水たき「長野」の集いを行った・・・。二日間の長崎・福岡の旅を振り返った・・・。