信頼し合う2人の中継ぎ

今後の成長(発展)のために今取組んでいることは?

ここで話にも出てきました、会長にも同席いただきます。聞いていると会長と社長、親子は仲が良いですね。秘訣を教えてください。

社長:一緒に飲みに行くことですかね。カラオケもしますよ。

どんなお話をされるんですか?

会長:会社の話もしますが、普通の世間話が多いですね。会社経営は社長に任せていますから、できるだけいらん口出しはしないようにしています。

相談に乗ったりもするのでは?

会長:あれば、乗りますが、ないですね。

社長:あんまり悩まんけんね(笑)。というよりは、悩まないようにしています。
リーダーがくよくよしていたら周りが不安がります。会長にはどちらかというと、自分の今の考えを話します。例えば、健康経営のような社員を喜ばせる施策だとか、新しい事業のアイデアについて助言をもらったりしています。

会長にご質問です。会長から見て社長はどんな方ですか。

会長:良くできた後継者だと思っています。言うことなしです。だから飲みに行こうと言われると喜んで行きます。

直してほしいところはないですか。

会長:ないですね。私がこれまでやってきたことも踏まえ、私ができなかったことも積極的にやってくれるからね。どちらかというと私は消極的なほうですから。

社長:会長が不得意なところを私がやっている。

会長:仕事や外向きには消極的ではないですよ。家庭での話ですよ。

社長:私が誘わなければ飲みに行くこともないですからね。

会長:いやぁ、私もたまには誘いますよ(笑)。

社長:8~9割は私からです(笑)。

会長:社長は、会社経営に加え、青年会議所の活動もあって忙しくしているようなのでね。こちらからは遠慮しています。

仲の良い掛け合いですね。他に共通の趣味などはありますか。

社長:ゴルフです。スコアが同じくらいなのでまだ親子対決もしています。47歳の年齢差で一緒にできるというのは良いコミュニケーションツールです。

代表取締役に就任するまでの経緯を教えてください。

社長にご質問です。社長から見て会長はどんな方ですか。

社長:お酒が強い(笑)。飲み過ぎた次の日にはしんどい時もありますよね。でも会長はどんなになっても辛いということを言わないんですよ。それはどんな場合もそうでして、会長から辛いという言葉を聞いたことがありません。これは戦後間もないころからやってきた強さではないでしょうか。それから、私だけでなく、他の20~30歳も年下の人とも偉ぶらず付き合います。「齊さん」の呼び名で皆に慕われている。そこがすごいなと思います。

会長にご質問です。55年間社長を務めたわけですが、これまでを振り返ってのご心境は。

会長:私は戦後約10年、会社組織に変更した直後に社長になり、平成21年の交代まで続けてきました。当時の松山は復興に向けて景気が良かった。他の会社の社長は親ほど年が離れていた。そういった人たちと付き合っていくために酒が強くなった(笑)。それはさておき、色んな企業の方々と友だちになれた。その友だちの周りも皆良い人ばかりで、ずいぶんとお世話になりました。

社長:そういった方々が今も大切なお客様としてご支持いただいています。

お付き合いの輪が広がったのは会長の人柄や会社の体制が良かったからじゃないですか。

会長:そこはわかりませんけど、皆さんとお付き合いできたのは、私の最高の宝ですね。友だちがあってこそ、今の私があると思います。

社長:私が帰ってきたときの会社の体制の印象は、温情主義でした。社員が伸び伸びと働いているなと。ですが、危険の多い工事現場では緊張感や危機感を持って業務に取り組んでほしいので、そのメリハリをつけることに取り組んでいます。緊張感を忘れないようにしてもらうため、現場パトロールは今も行っています。

会長:今は私が社長になったころとは時代が違います。工事のやり取りも全然違う。昔のままの方針を引き継いでいったのでは進展はない。だから、今の社長には私がやったことをそっくり引き継がないで、自分の思う新しい方法で会社を変えていってほしいですね。

会長にお伺いします。新たなにやりたいことはありますか。

会長:いや、もう特にはありませんよ。

社長:新たなことではないにしろ、まだまだ表に出てもらいたいです。私よりも会長のほうが話しやすいという人もいます。それに松山には70代、80代の経営者がたくさんいる。そうした人とのやり取りはまだ会長のほうが適任というケースが多い。まだまだ門屋組の看板を背負って動いてほしいですね。
会長は50年以上社長を続けてきた、門屋組の生き字引です。すごいことに、当時関わった人物を覚えているんですよ。例えば、2017年9月にオープンした道後温泉飛鳥乃温泉の工事をさせていただきましたが、その隣にある椿の湯。今の建物は別の会社さんが建てたんですが、最初の建物は当社が担当させていただきました。その当時関わった人であるとか、地域の組合の歴史など全て覚えているわけですよね。会社だけでなくこの地域の歴史も含めて時間のある時に話を聞き、吸収していきたいと考えています。

創立200周年まであと